So-net無料ブログ作成
検索選択

キャッチャー・キーパータイプ [雑記]

 それがしは昔からいろいろなスポーツをやっ
てきました。野球サッカー卓球などなど。
 その中で、体育の授業を含めて、何故か役割
的にゴールキーパーとか、キャッチャーとかそう
いうものをやることが多かったように思います。

 普通、スポーツをやる人間であれば、誰しもが
華やかな舞台を思い浮かべます。野球であれば
ピッチャーか、スラッガーとして鳴らしてみたいか。
 サッカーならば、フォワードで点取りをやってみ
たいとか。

 それなのに、いつもそれがしはゴールキーパー
やキャッチャーといった、地味な役割が多かった
のであります。それを押しつけられたわけでもな
く、むしろ進んでやっていたように思います。
 嫌だったのか?というとそうでもありません。

 また、下手だったからその役割を担わされたの
でもありません。現に、サッカーではFWの選手
よりも(たまたまキーパー以外の時は)点を取っ
ていましたし、野球でもピッチャーも内野手も、
全てやりました。外野はちょっと苦手でしたが…。

 たぶん、皆はそれがしの性格を見て、我慢強い
と思い込んでいたようです。だから、キーパーや
キャッチャーという地味だけど大変なポジション
をやらせたがる傾向があったのでしょう。


キャッチャー.jpg

 長じて後も、ある課長さんに言われました。

 「玄徳くん。君は大将よりも『副官』が似合うと
思うよ!」…あまり嬉しくは無い発言でしたが、
でも、中っていると思いました。

 そういうわけで、未だにキャッチャーやキーパ
ーばかりをやっている玄徳でございました。

ベトナムのフォーを食べに入った理由 [食]

 先日、土曜日に仕事をして遅めのランチと
買い物のために二子玉川に行きました。
 まずはランチ。この日は車で行ったので、
アルコール抜きのランチであります。高島屋
S.Cの南館でまだ入った事のない飲食店を
巡ってみることにしました。


 新しい洋食店を発見。ここは洋食弁当風の
おかずとメインのおかずが組み合わさる独特
セットメニューがウリのようです。待ち客は、
1組の御夫婦だけ。店内もそれほど混んでい
るように見えません。店員さんに名前を言って
椅子に座って待っていました。ところが…

 待てど暮らせど…(という程ではないが)声が
かかりません。席はいくつも空いているのが入
口からも見えます。どうも店員さんの動線が悪
くて食器の片付けや案内、オーダーのバランス が悪いようです


 順番は次でしたが、諦めました。これで美味い
ものが食えるとは思えません。そこで、向かいに
あるベトナム料理店に入りなおすことにしました。
 「ニャーベトナム」であります。


 こちらでは、マネージャーと思しき人が素早く
席に案内してくれました。メニューを見て、特に
美味しそうに見えたのが「フォーと生春巻きの
セット」1280円。


フォー&生春巻き.jpg

 これです。


蒸し鶏のフォー.jpg

 フォーは日替わりで、この日は蒸し鶏のそれ
でした。


生春巻き.jpg

 生春巻きも濃厚なたれとよく合います。


ココナツぜんざい.jpg

 デザートもあり。


 このようなランチなら大歓迎。残念だったの
は車ゆえ酒の楽しみが無かったこと。次回は
生春巻きでビールを飲みたいものですなぁ。


 案内が外れの店のおかげで、当たりのラン
チにありつけたという巻でした。

ワーテルローと関が原 [歴史]

 天下分け目の合戦といえば「関が原の合戦」
であります。1600年に起こったこの戦いが、
江戸幕府260年の基礎を作ったと言えます。


 一方、ヨーロッパで行われた天下分け目の戦
いといえば、1815年にナポレオンとウェリントン
が戦った「ワーテルローの戦い」でありましょう。
 実はこの両者、とても似ているのです。違う点
はどっちが勝者になったか、という点であります。
さっそく比較してみましょう。


【関が原】戦い前夜、雨の中を出陣した西軍は、
先に関が原に入り、笹尾山から松尾山の麓にか
けて防御陣地を構築し、東軍を待ち構えていまし
た。一方、毛利・吉川軍は南宮山に登り、小早川
軍は松尾山の上に陣を構えていました。遅れて、
東軍も出陣し、関が原で西軍と向き合う形で布陣
しました。


【ワーテルロー】戦い前夜、イギリスオランダ連合
軍は豪雨の中でワーテルローの丘の上に展開し、
フランス軍は丘の麓に布陣しました。


【関が原】戦いの朝、濃霧を突いて前進した東軍
は、まず西軍の右翼に位置していた宇喜田秀家
軍と大谷吉継軍に攻撃をかけました。しかし、先
に布陣していた西軍の守りは堅く、東軍の猛将、
福島正則が何度も攻撃を仕掛けますが、宇喜田
軍の明石全登に押し返されました。


【ワーテルロー】雨でぬかるんでいたため、攻撃は
昼からに延期され、まずは仏軍のジェローム・ボナ
パルトが英軍の右翼、ウーグモンの邸宅に攻撃を
しかけました。しかし、要塞化されていた邸から、
英軍ライフル兵の射撃を受けて、大きな損害を出し、
こう着状態に陥りました。


【関が原】戦いはこう着状態となり、業を煮やした
徳川家康は自ら騎乗し、徳川本隊3万人を敵の本
陣のある笹尾山に向けて移動させ始めました。


【ワーテルロー】右翼・左翼とも膠着した戦いを打開
するため、ナポレオンは無傷の近衛兵3万人を英軍
中央に向けて進軍させました。しかし、英軍ライフル
兵の一斉射撃に遭い、進撃を食い止められました。


【関が原】ここで援軍があれば、と何度ものろしを上
げる石田三成でしたが、毛利も小早川も動きません。
朝からの合戦で疲労の色が濃くなったころ、松尾山
の小早川秀秋軍1万5千名が突如、西軍右翼の大
谷隊めがけて突撃してきました。これによって大谷
軍、宇喜田軍が崩壊。笹尾山の石田三成や小西行
長も退却を始め、西軍が敗退しました。


【ワーテルロー】夜に入り、ここで援軍が欲しい、と思
い出した頃、英軍にとっては友軍であるプロシア軍
(ブリュッヘル元帥 5万人)が戦場に到着。前進して
いた近衛兵の背後を突きます。これでナポレオン本
隊である近衛兵が退却を始め、仏軍が崩壊し始めま
す。



 いかがでしょうか?200年以上離れたこの戦い、実
に類似しています。しかし、英軍はプロシア軍の援軍
によって勝利をつかみ、石田三成は、身内のはずの
小早川秀秋の寝返りにより敗北に追い込まれました。
 歴史は繰り返すといいますが、同じような経過の戦
いが洋の東西であったというお話でございました。



ワーテルロー.png